由緒沿革


天縛皇神社

鎮座地 相模原市中央区宮下本町3-23-7

 

御祭神 伊邪那岐命  伊邪那美命  天照皇大神

    神呂岐命   大山咋命

 

氏子地域

  宮上地区

    橋本三丁目、四丁目、五丁目

    東橋本一丁目、二丁目、三丁目、四丁目

  宮下地区

    宮下本町一丁目、二丁目、三丁目

    宮下一丁目、二丁目、三丁目

    すすきの町、向陽町

天縛皇神社は当地区にある新義真言宗天縛山蓮乗院持ちとして、室町時代天文元年(一五三二)に創建され、帝釈天を祭神とし本地十一面観音・牛頭天王を祀り、天縛明神社として小山村の鎮守でした。明治初期の神仏分離により天縛皇神社と称社し、帝釈天から伊邪那岐命・伊邪那美命に変え祀りました。また、小山村には神明社・熊野社・山王社を祀っていましたが、明治十二年頃足穂神社(寄宮) に合祀されました。明治四十二年(一九〇九)一〇月二六日、足穂神社より天照皇大神・神呂岐命・大山咋命を合祀しました。昭和四十八年(一九七三)社殿が新築されました。 

令和五年(二〇二三)には創建から四九一年が経過しました。

 

天縛皇神社は多くの氏子により崇敬され現在に至っています。 

 


八坂神社

天縛皇神社拝殿の右奥に小さな末社があります。ここが八坂神社です。祇園信仰の神社で、全国に2000以上あると言われており、総本宮が京都府祇園にある八坂神社です。その祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)ですが、明治時代に神仏分離がされるまでは牛頭天王がまつられていました。そのためか、牛頭天王と須佐之男命は同神とされる説もあります。

 

須佐之男命(すさのおのみこと)

 神格

   農穣の神  防災除疫の神  歌人の神

 ご利益

   五穀豊穣  水難・火難・病難除去  学問上達など

  

 


小山の歴史

平安朝末期武蔵国横山庄の四代目孝兼の四男小山経孝の子有高(小山太郎)は当地小山に居たといわれ、「吾妻鏡」によると、建久元年(一一九〇)源頼朝上京の供奉の列に相模小山太郎の名が見受けられます。小山太郎は当地小山に築城したと伝承されており、今の矢懸(神社付近)で矢の稽古をし、東橋本の南端(まつば坂「的場坂」)に的を置いたと伝えられています。その後、室町時代小山地区住民の鎮守様として天縛明神社が創建されました。当時は高座川と言われていた境川は、文禄三年(一五九四)彦坂刑部直道が検地するにあたり相模国・武蔵国の国境として定めたので、以後、境川と言われるようになりました。慶安元年(一六四八)小山村、橋本村、上相原村に分村し、宝永三年(一七〇六)三月小山村は上郷・下郷に分けられました。天縛皇神社は小山村のほぼ中心に位置したことから、西側を「宮上」、東側を「宮下」と呼ばれるようになりました。